岡井 直道
演出家

Naomichi Okai
Director

 ■ 1947年金沢生まれ。演出家 現在、日本演出者協会会員、  アンゲルス代表  (金沢市)


Profile

■ 金沢泉丘高校、金沢大学法文学部経済学科卒業後、1973年、俳優教室をへて東京演劇アンサンブルの演出部に入団。以後、演出家広渡常敏に師事し、B.ブレヒト、A.チェーホフ、W.シェークスピア、木下順二、宮澤賢治等の作品を中心に関わり続ける。

■ 1980年より7年間、京都の劇団<京芸>に招かれ演出家として数多くの作品を創り出す。なかでも、ブレヒト作「夜打つ太鼓」、井上ひさし作「11ぴきのネコ」、広渡常敏作「グスコーブドリの伝記」、谷川俊太郎作「おばけリンゴ」等の仕事は、80年代の関西演劇界に大きな刺激を与えた。

■ 1987年に、劇団<5次元>を主催。ここで宮澤賢治の童話「注文の多い料理店」、「山男の四月」、「黄いろのトマト」を国際児童文学館との提携公演として演出上演する。他に、枚方市美術館ロビーでのM.エンデ作「サーカス物語」の上演等、地域施設における演劇上演の新しい試みを始める。 同時期、京都在住の学者(京大建築学)や美術家、デザイナー、劇場関係者達と<空間活用舎>を作り、お寺や庭園、各種の歴史的建造物を、音楽会、講演会、演劇上演等に利用し、新たな角度から地域施設の活性化を試みる。

■ 1988年から、東京演劇アンサンブルでの活動を再開する。主な作品として、宮澤賢治原作「黄いろのトマト」を花巻の宮澤賢治フェスティバルで野外公演。R.ピランデルロ作「出口にて」、「花をくわえた男」をブレヒトの芝居小屋で上演。リンドグレーン原作「山賊の娘ローニャ」を朝日生命ホール提携子どもの劇場で上演(いずれも脚色、演出)、等々。 他に、より新しい試みとして、マスコミプロダクション〈ヒューマン企画〉所属の俳優達との舞台づくりも行う。

■ 1990年秋、京都梅小路操車場で「銀河鉄道の夜」の野外公演を、JR西日本鉄道と提携して、企画、構成する。これは、動態保存された本物の蒸気機関車を動かしての上演で、そのダイナミックで幻想的な構成は高く評価され、NHKをはじめとしてテレビ、新聞等多くのマスメディアが注目、取材している。

■ 他に、1995年より新しい試みとして、マスコミプロダクション〈ヒューマン企画〉所属の俳優達との舞台づくりも始めている。

■ 1996年の10月からは、石川県金沢市にできた市民芸術村のドラマ工房を拠点にした劇団〈アンゲルス〉を主催する。〈アンゲルス〉は地元の演劇人たちと全国のプロの俳優、スタッフが混在した集団であり、文字通り手弁当で集まった者たちによって組織され、創造活動を行っている。1996年にはシェークスピアの「マクベス」を、97,98年に「リア王」を、99年1月には、「オセロー」を、2000年1月には喜劇「十二夜」を2001年2月にはR・ピランデルロの「犀」を2002年2月には宮沢賢治原作で「Night of Garaxy Express」を脚色、演出している。いずれも金沢市民芸術村で上
演しており、この劇場のもつ魅力を充分に引き出している。2000年8月には、子供と大人が一緒に楽しむキントテアターとして、「道化師たち」をドラマ工房で上演。従来の観客に加え多くの子供達が、観劇している。

■ 1998年1〜3月には、金沢市民芸術村主催の第一回ワークショップで泉鏡花の「海神別荘」を演出、続けて秋には芸術村〈ドラマアカデミー〉で新しく俳優教育を行い、これは、地域における演劇教育の端緒を提示することとなった。
 本公演とは別に1997年夏からは〈実験劇場〉の活動も開始。既成の劇場から飛び出し、野外や劇場以外の施設での上演を果たす。内と外の境界を意識したその活動は、多くの新鮮な創造の芽を生みだしており、注目を集めている。

■ 1998年、6月から8月にかけて〈'98実験劇場No.1〜3〉として=ハイナー・ミュラーをめぐって=を金沢市民芸術村の日本家屋と水上ステージを使って連続上演する。

■ さらに1999年4月に、金沢市石引商店街にある喫茶店を引き継ぎ<Angelus Cafe>をオープン。カフェテアター(喫茶店劇場)を始める。この間「燃え上がる緑の木」「オセローマテリアル」「変身」「画家と道化」「燃えよ剣」「鷹の井戸」「アリスとアルゴー船隊員たちのいる風景」「貝の火」「黄いろのトマト」「禿の女歌手」「星の王子さま」「銀河鉄道の夜」「十三夜」の脚色、演出で連続上演を果たしている。この小劇場では、演ずるものたちと見るものたちが共に間近に晒され、様々な境界が浮かび上がってくる。ここでの試みは創造分野の枠を越えた新たな実験的な作品創りであり、各マスメディアの注目を集めている。

■ 海外での仕事は、1989年、日米舞台芸術交流事業(文化庁)で、ニューヨークの<ラ・ママ>劇場、1991年にアジア演劇フェシティバルの、ソウルがあるが、それぞれ「桜の森の満開の下」を上演し、ステージマネージャ(舞台監督)として参加している。1992年、文化庁派遣芸術家在外研修員として、一年間ドイツで研修。その間、ベルリンに滞在し、ドイツ劇場、ベルリーナ・アンサンブル、グリップス劇場で稽古に参加。特に、ベルリーナ・アンサンブルでは、現在世界でもっとも注目されている劇作家、演出家である、H・ミューラーの新作に加わる。(1996年12月急逝)
1997年夏には、ルーマニア、モルドバ共和国の国際演劇祭に参加し、近年大きな注目を集めている東欧の演劇人たちとの親交を作り出してきている。

 2001年、夏、東欧国際演劇祭(ルーマニア、モルドバ共和国)に公式招待され“Othello Material”の公演を行う。いずれも演劇祭最高位の評価を得る。あわせて、ルーマニアで最も評価の高いブランドラ劇場で、提携公演を実現する。

■ 2001年5月より「かなざわ演劇人協会」の事務局長となり、その主な事業として「かなざわ国際演劇祭」を企画、立案し2001年11月にモルドバ共和国の〈イヨネスコ劇場〉を、2002年8月には韓国の〈劇団滄波〉を招聘している。

■ 2002年からは、石川県国際交流協会から「いしかわ国際協力研究機構=アートによる都市再生プロジェクト実行委員会=」の委員を委託され、都市における伝統と、若者の活性化を促す企画とその具体的な活動に参加している。 

■ 大学での講義として、明治大学、上智大学、成安造形大学があるが、若い才能たちに積極的に演劇の世界を紹介し、日本の演劇に新しい可能性を切り開くべく奮闘している。

Nemotoのこめんと

彼との付き合いも、相当長い....この人ともまた、腐れ縁なのかもしれない。

”情熱を実現”しようとするそのエネルギーは、到底真似できない...というか、「出来ることなら彼とは別な生き方ができたらいい」とさえ思う。それほど、しんどい生き方を自ら選んでる。彼の思う、モノを創る人間としての<誠実さ>は、世の中世間一般から見ると、「損な生き方」ともいえるのかもね。(^^!)