5 /31 (木)

Joi 31 Mai 2001

フェスティバル最終日。我々がフェスティバルのファイナルである・・・・こりゃぁ・・・大変だぁ・・・

朝から仕込み。しかし、当初困難であろうと思われた仕込みも、思った以上にスムースに行った、はず、である・・・まあ、照明さんはいつものごとく大変ではあるが。

英語−ロシア語の麗しき女性の通訳さんが来てくれて、男性陣ががんばったおかげか?


驚くなかれ!! 体質も設備も恐ろしく古そうであったこのチェーホフ劇場。サスのアタリはコンピュータ制御であった・・・いやぁ、まったく驚いた。おかげで一回一回器材を降ろさなくてすむわけで・・・。これでかなりの時間が稼げたことになる。

ユキちゃんもワークショップの通訳に急遽出かけなくてはならなくなって、昨晩から大変な騒ぎであった。 こちらも驚くなかれ、彼女はこちらにきて7ヶ月。私とほとんど一緒。これはいったいどういうことだ・・・

夕方ウクライナの演出家が会いたいとやってきたのでロビーでお話。

照明さんのボックス

会場は満員。さすがファイナル・・・・って感じでござる。

終演後、興奮した様子のペトロがいた。わたしにとってはそれだけで充分であった。

その流れのままフェスティバル閉会式へ。

たいした量はないんだけれど、終わってすぐにバラシ・・・。ジンタ・ラティーナで打ち上げだからすぐ来い!という・・・

ペトロたち 「バラシなんか明日でいいじゃないか」

日本人は律儀だからね。そうはいかないのであるよ・・

で、メイクを落としてバラシをして、40分間ほどであろうか・・・。日本でいつもやるバラシなんて2時間とかが普通だもんね。速いっす。照明器材は触らなくていいから楽チンだ。

チェーホフ劇場のロビーにて

小道具の布の手直し作業をしてるとこ

ジンタ・ラティーナへ。日本からのメンバーのための食べるものや飲み物のスペースがちゃんと用意してあった。さすがにクタクタだったけど、もてなす側の気持ちが感じられるだけに、帰るわけにはいかない。

そのうち、フランスの作家でペトロたちのことを応援している人が、こういうすばらしい劇場を政府が補助をしないとは何事だ!というわけで、署名をして抗議しようではないかっ!てなかんじのことをしゃべり始めた。もちろん私も署名してきた。

演奏が始まりフラメンコが始まり・・・ずっと立ちっぱなしだったし、さすがにダウンモードに入ってきたのでホテルに戻ってくる。こうして夜もふけてゆく・・・

ペトロたちの事務所があるジンタ・ラティーナのロビー

全部のイベントが終わって打ち上げ。踊ってるのはスペインからのメンバーとイオネスコのメンバー

 

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