コラム
ルーマニア便り

第7回

少しは鍛えられたか…私の皺のない脳みそ!
 
根本陽子

東京演劇アンサンブル・演劇集団アンゲルス/俳優部所属。「奇蹟の人」<アニー・サリバン>「十二夜」<ヴァイオラ>「オセロ」<デズデモーナ>ほか多数出演。「桜の森の満開の下」<生首>では踊り手としてイギリス、ブリヤート共和国、韓国、アメリカ公演に参加。「沖縄」<垣花シズ>ではイタリア、ベトナム、「かもめ」<ニーナ>で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
現在、文化庁の在外研修生として、ルーマニアに演劇留学中!
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
さてさて、私はいちおう役者であります。日々どんなことをしているのか。HPの日記を読んだ方からの「毎日毎日食べて飲んでばかりではないかっ!」というお声も聞こえてきたりするのではありますが(!-o-)……役者で海外留学というのはどういうことなのか。ましてや言葉も喋れず何をどうやって勉強するんだ!ということになりまする……。
答えはわたしにもわかりませんっっ! それが簡単にわかれば苦労はないのであります……(;-;)
気がついたら変わりはじめていた芝居の見方

何から始めればいいのやら……とりあえず、芝居を片っ端から観ていくか……てな感じで、始まった私の留学生活。3カ月経った今、このウン十年役者生活をやってきたなかで観に行った芝居の数の数倍は、ルーマニアの芝居を観たな、という感じであります。
それも言葉は解らないから、ただただ観続ける。これもある種の慣れ?があるようで。はじめの頃は無意識にストーリー<物語性>を、自分にとってつじつまが合うように理解しようとしていたようで、わたくしの皺のない脳みそは、もうぐったりっ。

ところが気がついてみると、そういう類の疲れを、最近は感じなくなっていた。言葉がわからない分、役者の存在感や、全体のリズムやテンポや、そこに流れる<物語性>とは別のもの……を掴み取ろうとする感覚が、否が応でも鍛えられてきたような気がするのであります。

言葉のしがらみや、染み付いてしまった“当たり前”の感覚から、どうやって逃れて中身のある現代演劇を創り出すことができるのか……。ルーマニアの芝居屋たちが創り出している舞台をただただひたすら観続けるなかで、役者として、人間として、の「根っこの部分」で勝負することの大変さと面白さとの両面を改めて感じておる次第であります。

「根っこの部分」って……

何本か心揺さぶられる作品に出会いました。そのいずれもが役者の存在感……<魅力と言ってもいいかもしれませんが>に引きずられて、舞台の上に「現在のルーマニアに生きる俳優たち」というのが浮かび上がってくるものでありました。切なくもあり、むなしさもあり、生きることの喜びも怒りもあり、笑い飛ばしてしまえ!という軽さもあり。観終わった後には、私の心の底をズシーンと響かせる迫力として何かが残る……。

ぶっちゃけた話、美男美女だから魅力があるってなわけではないのであります! 決して二枚目とは言えない俳優がだんだんいい男に見えてくる! 決して眠りの森の美女(どんなたとえだ??)とは言えないけど、滅っ茶苦っ茶いい女に見えてくる。彼らの中身の大きさと豊かさが、人間としてのカッコよさを創り出している。

<彼らはどんなことを考えながら、どんなことを感じているんだろう……何が現在の彼らを支えているんだろう>
終演後、彼らのそんな魅力に私も引きずられて、思わず話し掛けてしまう。意外とシャイ?な私は、本当はそういったことは苦手なんですがね。いや、ホントに!

……何かのノウハウを学びに来たわけじゃない。今まで知らなかった世界に触れることで、鈍感になった心を揺さぶりにきたんだな……と漠然とではありますが、ルーマニアにやってきた意味みたいなことを思うのであります。

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こちらに来たばかりの頃に観た「リア王」のワンシーン。人物は<リア王とケント伯爵>、原作はW・シェークスピア。全体のテンポのキレのよさと、俳優達の技量に驚かされたのもひとつだが、ラストシーンで死屍累々のなか、ただひとり立っている俳優が、舞台に敷かれた枯れ草を手にとってパラパラと落とすしぐさが、とても生々しく迫力のある一瞬として印象に残る芝居だった。
 
「じゃじゃ馬ならし」のワンシーンでこれもシェークスピア原作。最近私が興味をもっている演出家の芝居ということで観に行ったのだが、この主役2人がまた、良いのであるっ。写真の人物はその2人。じゃじゃ馬ならしのペトルーキオとケイト。ライフル片手に暴れまくるケイトには拳銃で対抗するペトルーキオ