コラム
ルーマニア便り

第13回

モルドバ共和国訪問記<ユジェーヌ・イオネスコ劇場編>
根本陽子

東京演劇アンサンブル・演劇集団アンゲルス/俳優部所属。「奇蹟の人」<アニー・サリバン>「十二夜」<ヴァイオラ>「オセロ」<デズデモーナ>ほか多数出演。「桜の森の満開の下」<生首>では踊り手としてイギリス、ブリヤート共和国、韓国、アメリカ公演に参加。「沖縄」<垣花シズ>ではイタリア、ベトナム、「かもめ」<ニーナ>で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
現在、文化庁の在外研修生として、ルーマニアに演劇留学中!
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
ルーマニアの北東に隣接するモルドバ共和国。その首都キシニョフに、不条理劇作家としてサミュエル・ベケットと並び称される作家の名前を冠した劇団「ユジェーヌ・イオネスコ劇場」がある。主宰者で演出家で俳優のペトロ氏とフェスティバルの打ち合わせをするために、ブカレストから車を飛ばしてやってきた。

私が彼らのことを最初に知ったのは……んー何年前だったかなぁ…彼らがベケットの「ゴドーを待ちながら」を東京演劇アンサンブルの自前の劇場「ブレヒトの芝居小屋」で上演したことがきっかけだった。
彼らの創り出す芝居が国際的な賞を受賞しており、すでに世界の演劇シーンでは名が知られていたにも関わらず、その当時の私は、もちろん東欧の演劇のことも、彼らのこともまったく何も知らなかった。ほんとにまったくっ、なーんにもっ! あードゥムネゼウレ(神よ)!
窮地に立たされるイオネスコ劇場

ルーマニアもモルドバも俳優になるためにはアカデミーを卒業しなくてはならない。4年制の芸術家の大学って感じかしら。全ヨーロッパがそうなのかどうかは知らないのだけれど、役者という仕事が社会的にちゃんと認知されているということでもあるんだろうな。ペトロたちはモスクワアカデミーの卒業生。日本の新劇界ではモスクワというだけで卒倒する世代もあるわけで(^-^!)……つまりはエリート???

芝居は抜群にうまい。でもそれだけだったら何の魅力も感じないんだけど、彼らが私を惹きつける理由は何なんだろう。共産主義時代には上演は許されなかったはずのイオネスコの名前を堂々と掲げて、創りたい芝居を創れるようになったのは歴史の流れのなかではごく最近のこと。そんな彼らの芝居は軽妙で、小気味よく、そして今のモルドバを生きている彼ら自身が、じつに鮮やかに浮かび上がってくる……しかもセンスよく!

私が初めてモルドバ入りをしたその日、大統領選挙があり、今までイオネスコ劇団を応援してきた大統領から、親ロシア派の大統領へと替わった。民主化したものの生活はいまだに困難で、このままでは経済が復興する見通しが立たない。いつまでこんな苦労を強いられるんだ……そんななかでの政権交代劇だと思う。

そのことと前後して、彼らは今までの立派な劇場を立ち退かされ、そのかわりに古い映画館を与えられた。しかし、政府はその改装費用までは出してくれない。
日本で、彼らの仕事を評価する人たちが、照明器材やら何やらのための支援金を集めるために文字通り奔走した。しかし、現実にはその資金は彼らの劇場にはいかずほかの、いわば“伝統的”と言われる劇場へと流れた。お金の流れはこちらに決定権はなく、モルドバ政府が決めるのである……。

キシニョフでの打ち合わせの最中、現行政権からは「イオネスコ劇場の存続は、もう無いものと思え」といわれているという言葉を聞いたとき私は、自分でも驚くくらいショックを受けた。

人間の品位って何処からくるんだろう…

今の日本では決して見られないだろう表だった権力が彼らを圧迫しているという事実。そういうことに対する驚きではなかった。それほど厳しい状況のなかにあっても、作品を創る行為を模索し続けながら、なおかつ、彼らがほんとに子供のような、とても可愛らしい無邪気な表情でいることにショックだったのだ。そして彼らの創り出す芝居は、あくまでおおらかで前衛的である!……。“ショック”なんて言葉、ここウン十年使ったことなかったなぁ……。

芝居を観て感動した、ということではなくて、芝居屋として……というか、その前にひとりの人間としての彼らの素顔に心が震えた自分自身に対しても新鮮で、私は、今までとは違ったエネルギーをもらった。感動することはたびたびあれど、体の芯からショックを受けるってこと、そうそうない(恋に破れてショックを受けるのはショッチュウだけど……)。
「この人たち、人間としてそうとう上等の部類に入るぞ」そう思える人と出会ったとき、自分も変化せざるを得ないのじゃないだろうか……。

モルドバから帰ってきたとき、「今が明治維新だ。彼ら若き獅子たちが今まさに新しい困難な仕事をやっている。まったく金の匂いのしない芸術家連中にいったい何ができるのか…。本当に大きな実験だ……」と、同行した私の親友はつぶやいた。
君っ!うまいことを言ってくれるよ……ほんとにそうだ。

ペトロの仲間たちは強烈な、でもこちらがあたたかい気持ちになってしまうほど純粋なエネルギーを放つ。騒然としたなかで新たな時代への、新たな世界への幕開けに憧れて、本当に国を動かしちゃったあの若き獅子たちの情熱と行動力……。さわやかささえ感じさせてくれるペトロたちの「新しいもの」を創り出すことにかける情熱を、そう例えた我が親友の言葉も、そのときの私には、涙がこぼれるくらいピッタリくるひと言だったのであります。

堂々と困難を受け入れよう…潔く晒されよう……

今回、予算は限りなくゼロに近い状況で、私の所属劇団である「アンゲルス」が東欧でのツアーをやらなければならなくなっちゃった。でも……自分が本当に面白いと思えるものを創り出すために……自分たちにとってちゃんと手触りのあるやり方、我々流のやり方を創り出そう……困難を堂々と受け入れよう……彼らのように。

創造的な部分からはおよそかけ離れた瑣末的なことで、腹の立つこと、うんざりすること……が、これまたうんざりするくらい周りにある。思わず「腹立つっぅ!」と叫んじゃうんだけど、そんなときに彼らの無邪気な子供のような顔を思い出す。そして「堂々と、潔く晒されよう。おおらかに、伸びやかに生きたい……」そう心の中でつぶやく。
そうさっ、潔く生きようとしていれば、結果はそのうち後からついてくるよ。そのうちね……たぶん……いつか……んー、どうだろう……(−−!)

ルーマニアで半年暮らした。1年のちょうど半分が過ぎたとき、期せずして私の心のなかの何かが、たった一瞬で、たったひと言で、これからの生き方に大きく影響するだろうなぁと思ってしまうものと出会った。
私の初モルドバ訪問は決して心穏やかには終わらず、むしろ、今までよりもっと不安だらけで、もっともっと苦労しそうな生き方を選んでしまうことになりそうな……そんな出来事だった。
でも何故か心地よいの……マゾかしら……というわけで、今回はまじめすぎたかなぁ……<モルドバ共和国再訪問記>へと続〜く……かも。

ユージェーヌ・イオネスコ(1913〜1994)
戯曲「禿の女歌手」「授業」などで知られる不条理演劇の代表的劇作家。ルーマニアに生まれ、ブカレスト大学を卒業するが、1938年以降は母の祖国フランスに定住。50年戯曲「禿の女歌手」、52年「椅子」を発表。当初は受け入れられなかったが、古典劇の規則にとらわれない不条理演劇として、50年代後半から脚光を浴び、現代演劇に大きな影響を与えた。70年、仏学士院会員。
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イオネスコ劇場の「ゴドーを待ちながら」のポスター。東京演劇アンサンブルの自前の劇場「ブレヒトの芝居小屋」で上演したときのもの











同じく「ゴドー…」のワンシーン。この秋、再び来日して2本の芝居を上演することになっている。私もその頃は日本に帰っているからどうやら観ることが出来そう…
 












 
キシニョフのレストランにて。左端がペトロ…っていわなくても分かるか…外国人はひとりきりだものね