コラム
ルーマニア便り

第16回

アンゲルス in ヨーロッパ<シビウ国際演劇祭> 参加っ!の巻
根本陽子

東京演劇アンサンブル・演劇集団アンゲルス/俳優部所属。「奇蹟の人」<アニー・サリバン>「十二夜」<ヴァイオラ>「オセロ」<デズデモーナ>ほか多数出演。「桜の森の満開の下」<生首>では踊り手としてイギリス、ブリヤート共和国、韓国、アメリカ公演に参加。「沖縄」<垣花シズ>ではイタリア、ベトナム、「かもめ」<ニーナ>で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
現在、文化庁の在外研修生として、ルーマニアに演劇留学中!
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
ルーマニアにシビウという都市がある。ここで開かれる演劇祭は今年で8回目だが、いまや参加国約58カ国、134ステージ。エジンバラ、アビニオンに次いで世界3番目の規模になったそうだ。
この演劇祭に、日本から金沢の劇団<ANGELUS(アンゲルス)>が公式招待を受けた。現地にいるということで、私も飛び入り参加?することに。今年の開催期間は5月25日〜6月3日。さてさて…。
城壁と城門を使っての野外公演

このフェスティバルの総ディレクターであるキリアック氏とは個人的に何度も面識があるけれど、熊さんのように体が大きいくせに顔も声も妙に可愛らしい。しかし、彼がこの演劇祭を始めて、瞬く間にここまで大きくしただけあって、その体に秘めるパワーは生半可なものではない。

演劇祭の滞在期間中、各グループには食事、宿泊が保障される。我々のような貧乏劇団にとっては涙が出るほどありがたいことである。が、何度も繰り返すけど、ルーマニアは経済的にとても苦しいのである。その国のなかで、これだけの演劇祭を開くということを、継続して行なっている彼が払っている多大な労力は脅威に値する。この期間、シビウの街全体がフェスティバル一色になったかのようである。

さてさて、我々が上演するステージはシビウの隣りの街<チスナディオアラ>の小高い山の上にある15世紀頃に建てられた城砦教会跡。というわけで、城壁と城門を使っての野外公演!
私は、安全に囲まれた劇場の中では起こりえないことに遭遇する野外での公演が大好きである。やわいマガイ物なんか、自然の迫力の前では簡単に吹き飛ばされてしまう。

フェスティバルでは、当日仕込みの当日本番で1ステージ、というのが通常なのだけれど、何故か我々は2日間で2ステージの上演。初日はまずまずの天候に恵まれた。完全に陽が落ちるのを待ってからの開演、9時半。松明が焚かれるなか、足場の非常に悪い急勾配の坂道を俳優たちは転がるように駆け回る。空間の多様性が生み出す立体感は野外ならではだな、という印象の舞台となった。

2日目は雨、教会の中を精霊たちが疾駆する

ところが2日目、朝起きたら雨ザーザー……で、急遽、教会の中に仕込み替えすることになったんだけれど……仕込んでいる最中晴れてきた。初日の評判がかなり高かったこともあって、できれば野外でやりたい。
「さて、どうしよう」

舞台装置なんてほとんど使わないからこの時点からの変更もさほど大変ではないのだけれど、こういうときの判断ってかなり難しい。今回の芝居では、全編を通してギタリストがエレキギターを弾き続けてる。音楽の生演奏が占めるマテルアルとしての比重はかなり大きい、にも関わらず何せここはルーマニア〜。運び込まれたアンプにかなり……不安あり。

で、「この機材で万が一雨降ったら、僕、感電死してまうで〜」のギタリストのひと言で教会の中での上演に決定。しかし音の反響がものすごい。観客が入った時点でどれだけ音が吸われるか、これまでの経験から予測。バランス調整に時間が割かれる。

雨こそ降らなかったけれど、外はかなりの荒れ模様。開演前、野外公演を期待してやってきたお客さんのためにも、劇団側からひと言声をかける。「野外でやれないのは残念だ。しかし、山の精霊たちの、この教会の中でもやってくれという声が聞こえる」……まさにそういう舞台となった。

1カ所だけ開け放たれた扉から、役者が掲げている大きな黒い旗を引きちぎるかのように、凄まじい風がバタバタッと激しい音を立てて吹き込んでくる。ときには役者の衣装を剥ぎ取るかのように吹き上げる。精霊たちが小さな教会の中を疾駆する。そして柱の影に、天井の梁に、役者の傍らで、じっと息をひそめる。

今回の私たちの芝居「オセローマテリアル」は、日常生活するなかではひた隠しにしてしまうような自分たちのなかにある醜いもの、汚いもの……他者と、表面的に付き合うだけだったら邪魔なだけでしかない、モノ。そんな<黒きもの> が、オセローの嫉妬を軸に<素顔の俳優たち自身>から噴き出していくという作品創り。その行為は、恐れもあこがれも綯い交ぜとなった、どろどろに熔けた灼熱のマグマに身をゆだねてみたいという想いと似ている。
私にとって精霊たちが入り込んでくるその様は、歓喜とも悲鳴ともつかない黒きものが噴き出す<声>だった。

野外は楽しい。けどそれだけでは終われない……

野外での上演。“本物の自然”がもつ迫力に、俳優たちは五感を、あるいは六感を揺さぶられ、普段使い慣れている劇場では感知できないものを感知できたと思えるとき、その新鮮さに俳優自身も感動する。そしてそれらは観客にも伝わり、ある感動を生む。

でも……ツアーの全行程を終えてこの原稿を書いている今、「はい、楽しかったです。感動しました」で、終わりにしちゃぁダメだ、という焦りのようなものが自分のなかにある。そういう類の感動だけが欲しければ、毎回野外でやればいい。でもそうはいかないし、そのことだけではやはりイカンのだ……。

自然の迫力を感じるだけのことだったら、そんなに難しい話じゃない。私たちの仕事って??? という思いが頭をもたげてくる。
<つくりだす>という言葉を使うとき、あえて<創る>という字を選び取ってる。私たちは創り出すことを仕事としてる。
笑っちゃうほどお金にはならないことを仕事だと言い切っている……。

野外では、自然というファクターから受ける影響はとても大きい。じゃぁ自然がまったく排除されたような空間ではどうなんだぁ??……やっぱり人間か……“自然”に変わる本物の迫力とやらを、お芝居上の係り結びなんかじゃない、その空間にいる“真の意味で自立した人間たち”との関係性から創り出すしかないじゃないか……そのことの中身を私たちはどこまで本気で自覚できるんだろう……。

2ステージともに違ったバージョンの野外公演は、やはり面白かったし刺激的だった。私の耳に入ってくるかぎりでは作品の評価はかなり高い。そういう意味では成功したといえるんだろう。でも、私の不安や焦りの根は別のところにあるみたいだ……それが何なのか、この後のモルドバ共和国のキシニョフ、ルーマニアのブカレスト、と公演を続けるなかで少しずつ見えてきたような気がする。

シビウの街の中心にある劇場の中庭は、夜の10時から朝まで開放される。芝居が終わったあとフェスティバルに参加した人たちや地元の人たちが集まって、ビールを飲みながら話をしたり踊ったり歌ったり演奏したり。多種多様な国の芸術家たちが入り混じっているこの中庭で、自分自身を、自分の仲間たちを、あらためて眺め直してみる。

……私たち自身がまだ気づくことが出来ずにいる幼さの質を、見極めてそこから抜け出すために……これから自分たちに何を、どう仕掛けていかなくちゃいけないんだろう……。

そんなことを考え始めるきっかけになった野外公演だった。
<アンゲルス in ヨーロッパ……次回に続く>
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街の境界線にはもうフェスティバルの旗が掲げてある











ステージに使ったほとんど手付かずの遺跡。上演した作品のタイトルは「オセローマテリアル」。シェークスピアの「オセロー」のなかに東ドイツの作家ハイナー・ミュラーやランボーの詩、ブレヒトソングなどが入り込んでくる。おまけに今回のバージョンはところどころ英語での台詞も混じってる。それをさらにルーマニア語に替えたりとまさにマテルアル(素材)だらけ











教会の中での舞台の仕込み風景。この時点では外はとっっってもいい天気