コラム
ルーマニア便り

第17回

アンゲルス in ヨーロッパ
<キシニョフ国際演劇祭> 参加っ!の巻
 
根本陽子

東京演劇アンサンブル・演劇集団アンゲルス/俳優部所属。「奇蹟の人」<アニー・サリバン>「十二夜」<ヴァイオラ>「オセロ」<デズデモーナ>ほか多数出演。「桜の森の満開の下」<生首>では踊り手としてイギリス、ブリヤート共和国、韓国、アメリカ公演に参加。「沖縄」<垣花シズ>ではイタリア、ベトナム、「かもめ」<ニーナ>で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
現在、文化庁の在外研修生として、ルーマニアに演劇留学中!
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
 
5月29日、ルーマニアのシビウを出発してモルドバ共和国のキシニョフへ。ここで開かれる演劇祭は<ユジェーヌ・イオネスコ劇場>の主宰者であるペトロが中心になっている。

いっけん矛盾しているかのような言葉

今年は5月24日から31日までの開催期間で9カ国参加、23ステージ。ワークショップ等を含めるとイベント数42。歴史としてはまだ若く小規模ではあるけれど、参加者一人一人にイオネスコ劇場のメンバーの顔がよく見えるというよさがある。この国では有名な俳優たちである彼らが、自ら参加者のために車を運転し、参加しているグループに付き添い、日常的なことから舞台でのトラブルまで、さまざまなことを解決せんがために動き回る。

我々のステージはフェスティバルのファイナル。日本でいう取(とり)というやつ。それだけ期待されているということでもあるから、緊張もしたし、期待もした。イオネスコ劇場の彼らと、私たちがやっている仕事の興味とはとても近い、という気がしていた。彼らなら、おそらく、私たちが創り出したいと思っているものの匂いを感じ取ってくれるだろう、という思いがあった。そんな私にとって、終演後のペトロの興奮した様子は何にもかえがたいものだった。

ブカレストへ出発する前夜の夕食時、ホテルにイオネスコ劇場の面々が挨拶にやってきてくれた。その場にいたのは我々とスペインからのグループ。
「芝居で使った音楽をもう1度やってもらえないか」
……歌が始まり、踊りが始まり……そしてギタリストと、女優でありピアニカ奏者であるアンゲルスメンバー2人が、自分たちのオリジナル曲を数曲披露した。自然発生的に始まった打ち上げが、感動的なライブへと変わる。

<もうひとつのものを>という世界の動きのなかで……

宮崎駿が94年に「風の谷のナウシカ」を描きあげた頃、新聞に載った彼の言葉をいまでも鮮明に覚えている。要約すると、

「世界はこれまで二進法のものの考え方だったけれど、これからの時代はそれではたちゆかない。89年からの出来事のなかで、マルクス主義を捨てなければと決心した。けれど、それみたことかという現実主義者の軍門に下る気はない。かといって神秘主義に走る気もない。あくまで近代合理主義でナウシカは描いた。でも、それだけではないものが自分のなかにあることに気がついた」

……演劇の世界なんかより、彼の作品行為のほうが遥かに先をいってる……そのコラムを読んだとき、強烈にそう思った。近代を乗り越えるために、「こっちでも、あっちでもない、<もうひとつのもの>」を見つけ出そう、創り出そうと世界は動きだしている。「そういう芝居を創りたい」そう思いながら私もこの仕事を続けてきた。もうひとつのもの……

オリジナリティーって何なんだ??

私たちは明らかに西洋の影響を受けている。そして、日本の気候風土のなかで生まれて育った。その“土着性”が、西洋の作品をマテリアル(素材)として再構築していくなかで自然発生的に出てくる部分もあるかもしれないけれど、「私たちは日本人だから、何を、どうやっても、独自のオリエンタルなものが滲み出る」っていうほど甘いものではないことを、嫌というほど味わっている。

ペトロが言う。
「岡井(演出家)、どんなふうにすればこんな演奏を作品のなかに取り込むことができるんだ!?」
「僕たちの稽古場で、彼らは稽古中ずっと曲を弾き続けている。そこから作品が生まれるんだ。こんなつくりかたは、僕にとっても稀なことなんだ」
と演出家は答えた。

創造者たち共通の悩み……“目的の効果達成”のための、決められた舞台装置、照明、衣装が同じ印象の空間を再生してしまい、音楽や音響効果音も、録音し、再生することが一般的になっている演劇の世界。いつもライブであるはずの演劇が、いつのまにか再生可能な要素で雁字がらめに組み上げられてしまう。その中で演じる俳優たちの演技は、再現的演技に陥っていき、失せていく新鮮さの代わりに演技術が要求されていく……。

<アンゲルス>の稽古場では、すべてのことにおいて、これらの“プラン”が最初にあるわけじゃなかった。資金ゼロから始めざるを得ないこの貧乏集団にはそもそも無理な相談なのである。そのことは、“企みの実現”が先行するということがほとんどない、ということに繋がっていたとも言える。厳しい現状をすべて受け入れたところから出発するしかない。
……突きつけられるその場の状況の中で一番いいと思えるものを、自分を誤魔化さずに選び取ってきた。そして参加してくるものを拒まない……状況に添い遂げながら……。
今回上演した「オセローマテリアル」 もその <現場の中>から生まれてきた作品だった。

上演後、いくつかの国の演劇祭からのオファーがあり、彼らの「いままでこんな芝居を見たことがなかった。どうやったらこんな作品がつくれるんだ」という率直な声も聞いた……彼らも<もうひとつのもの>を切実に求めている……。

ソ連が崩壊して民主化したあとの彼らが、欧米に追いつけとばかりにアメリカの作品を上演してみる。でも、どうも……しっくりこない、日本もさんざん外国から言われ続けてきた「猿真似」でしかないようなジレンマ……そんな気がする。
<アンゲルス in ヨーロッパ……次回に続く>

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私たちの会場は、作品はロシア語で上演されるというチェーホフ劇場。おかげでスタッフは全員ロシア語。そうとは知らなかった私たち……仕込み直前にすったもんだ……。やっぱりロビーにはチェーホフの肖像画が飾ってあったぞ
 
奥行きがあるこの劇場用に、ロビーで芝居で使う布(長さ10数メートル)を継ぎ足してるとこ。壁にはこの劇場の美しい女優さんの写真。うち(アンゲルス)の美しい女優さんたちは役者の仕事以外にも山ほど仕事が……
最終日が終わったあと、本部事務所でパーティーが催された。フラメンコを踊るスペインメンバーとイオネスコの俳優たち