コラム
ルーマニア便り

第33回

1年間のルーマニア研修を終えて
 
根本陽子

東京演劇アンサンブル・演劇集団アンゲルス/俳優部所属。「奇蹟の人」<アニー・サリバン>「十二夜」<ヴァイオラ>「オセロ」<デズデモーナ>ほか多数出演。「桜の森の満開の下」<生首>では踊り手としてイギリス、ブリヤート共和国、韓国、アメリカ公演に参加。「沖縄」<垣花シズ>ではイタリア、ベトナム、「かもめ」<ニーナ>で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
文化庁在外研修生として、1年間ルーマニアへ演劇留学。ただいま帰国…ほやほや…
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
 
役者としての今の私に必要なもの

帰国してからこれまで、私はこれからどんなスタンスで歩き出したらいいんだろ…と考え続けてた。いいアイデアが浮かばないから、ぼんやりとしていたっていうほうが適切か。

ルーマニアには、「せめてあと1年、残ったほうがいい」と言ってくれている人たちもいる。私自身が強くそう望めば、実現も不可能ではない。異国のなかで生活し続けるなかで得ることの出来るたくさんのこと、がある。でも、今のルーマニアという国の現状のなかで、俳優として仕事をすることは難しい。日本脱出っ!をはかりたい気持ちはあるけれど…私はいったいどうしたいのだ??…。

そんな漠然とした苛立ちとともに1月初旬から約1カ月間、劇団「アンゲルス」の第6回本公演の稽古、本番に参加するため金沢入り。本番は2月9日から11日までの計4ステージ。稽古を含めたこの1カ月間、私が耐えていた?のは演出家からのダメだしラッシュ…。

んー、こうやって字にしてみると面白いなぁ…“ダメだし”って…いかに演出家というものが傲慢な存在か、というのがよくわかる(笑)。意味は、読んで字の如し。演出家の罵声を浴びるってことかな(−−)/。昔からの慣習でこういう言い方をしているのだけれど…おっと、話が逸れてしまいそうだ。とにかく、今回の金沢滞在で、役者としての肉体を含めた私自身の改造計画?!の必要性を感じちゃったのである。

アンゲルス版不条理劇??「Night Of Galaxy Express」

作品は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のなかにサン・テグジュペリの「星の王子様」、大江健三郎の「燃え上がる緑の木」…それに、作家ハイナー・ミュラーやピランデルロの作品が錯綜する。
私の役?はなぜか車椅子に座ってる女。「銀河…」のカンパネルラの台詞を喋ったかと思うとミュラーの作品の一節を喋りだす。かと思うと…というわけでテキストを読んだだけだったら「?????」でも、ただハチャメチャに並べたのではないわけで。トータルとして<もうひとつの銀河鉄道の夜>が浮かび上がってくるというものである。ただし、俳優が創造者として自立していないと、わけがわからなくて、ただ単に滅茶苦茶、ってことになってしまう。

演出家(岡井直道)が俳優たちに対してよく口にするのが「絵描きが真っ白なキャンパスに絵を描くようにやってみろっ」である。この演出家はここ数年の芝居創りで、“自分ひとりの力でも、創り出したいもの、表現したいものを形にしていくエネルギーをもった美術家たち、音楽家たち、映像作家たち etc”とのコラボレーションを意識的にやっている。
自分ひとりでも形にしていくってことは当たり前のような感じがするかもしれないけれど、演出家の言うことを待ってしまうことに慣らされてしまった俳優にとって、そんなやり方は簡単なことではない。

今回の芝居も、映像作家の作品が映し出され、ギター弾き語りのパフォーマーが歌い、美術家の作品がふっと芝居に登場したりする。初めからこの芝居のために創られたものではなく、それぞれが独立性をもった作品でありながら舞台の上に存在する。けれど、ある一瞬一瞬に、役者たちの発するセリフ以上の雄弁さで芝居の中身を感じさせてくれたりする。そして、俳優にも創造者としてのあり方が求められる。“物語性”に頼らない作品創りは、肉体を含めた俳優自身にかかってる…。

再度ルーマニア行き・に関するひとつの結論

この仕事を○○年続けてきたのは、私にとっては<役者>というフィールドで自分の生き方を探すという行為がいちばんわかりやすかったからだ。でもこれまでは、稽古中と舞台の上での本番を通して、という意味だった。ルーマニアへの研修は、そうやって走り続けてきたなかでの、ひとつの節目になったのかもしれない。

今考えてみると、走り続けながらぼんやりと感じていたことや考えていたこと、渦中にいて見えなくなってしまっていたもの――生きていくということや、創造的であろうとすることの中身、が自分にとってどういうことなのか――を、ルーマニアで暮らしているなかで出遭ういろいろな出来事を通して、自分のなかでクリアにしていこうとしてきた1年間だった。
そして今は、役者が板の上で役者だけやっていればいい、という時代はとっくに終わったんだなって感じてる。“そのうえでなお、肉体も含めて役者であろうとし続けなくちゃいけない”…そのためには…。

どういうスタンスで歩き出したらいいんだろうって考えていたけど、その私流のスタンス自体を創り出すことから始めなくちゃいけないんだった。集団に頼らないでまずひとり立ってみるってことを自分に仕掛けてみる、ということを……ルーマニアで、実際の役者の仕事から一歩はずれたところで、感じたり考えたりしていたことを、これから<実践>しなくちゃならんときになった、ということなのだ、な。傍観者や解説者なんかじゃなく、舞台の上に役者として立ちながら“もうひとつのもの”を模索する者になろうと思うとき、俳優として仕事をすることが難しい状況にあるルーマニアに、行きっぱなしでいるというわけにはいかないのだ。

これからの仕事

今の日本のなかで、創造的な現場を探し出して俳優として参加するということはそう簡単なことじゃない。面白いと思える現場があちこちに転がっているわけじゃないのだもの。今、そういう現場を自らが創り出さなくちゃならない必要性を感じてる。そしてそれは刺激的な人々とのネットワークを、コミュニケーションを、私自身が実感の持てるやり方で創り出す、ってことも含んでる。日本での活動をベースにしながら、国内外のネットワーク創りを模索してみよう。私にどこまでできるんだろうか…。

というところで、次回からのコラムは「これが“貧乏女優”の生きざまなのだ…(涙)」ってなタイトル変更はどうだろう…ボツかな…。


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「Night Of Galaxy Express」〜銀河鉄道の夜〜の舞台写真。原作=宮沢賢治、台本・演出=岡井直道
 
舞台写真〜ちなみにわたくしでございます…