コラム
役者という生き方〜貧乏ものともせず

第10回

“いのち”を感じさせてくれるもの…(2)
 
根本陽子/女優
「奇蹟の人」「十二夜」「オセロー」ほか多数出演。「桜の森の満開の下」では踊り手として、イギリス・ブリヤート共和国・韓国・アメリカ公演に参加。「沖縄」では、イタリア・ベトナム。「かもめ」ではニーナ役で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
2001年、文化庁芸術家在外派遣研修生として1年間のルーマニア滞在を終え帰国。貧乏をものともせず、「集団に依存しない真のクリエイターの姿」を模索しながら活動中。
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
 
はじまりは1本の電話

5月に入ったある日、夜中に友人から1本の電話が入った。1月に金沢で芝居をしているときに受けた彼女からの電話の様子がおかしかったこともあり、その間ずっと気がかりだった。連絡をしても何の返事もなく、予感だけが募ってゆく。かかってきた電話にほっとする気持ちと、もしや……、という思いと。
そして電話の向こうから聞こえてきたのは「HIVに感染してん」だった……。

“HIV”……混乱した頭の中で、この言葉と“エイズ”という言葉が繋がるまで、愚かしいほどの時間が流れた。一瞬だったかも知れないけれど恐ろしく長く感じられる時間……。

出逢い

彼女と知り合ったのはルーマニアのブカレスト。JICA(国際協力事業団)のボランティアとしてブカレストの救急病院で働いていた。
初めて会った日、一緒に芝居を観に行き、そのあと街中にある怪しいピザ屋で朝の4時までワインを空け続けた。仕事も違えば今まで生きてきた状況も違う。なのに、同じ歳ということもあったかもしれないけど、それ以上に生き方に共感できる仲間だ……そういう直感があった。
その日以来、私のなかでどんどん彼女の存在は大きくなっていったし、ルーマニアで生活するなかで、私の未熟な部分の大半を彼女が補ってくれていた。

私がルーマニア行きによって何を得たか。それは「生き方を共感し合える仲間」だ、と言い切れる。そしてそういう人々に出逢えることは非常に稀なのだ。

私自身を分析してみせるのは恐縮なのだけれど、外見は社交的な人間で通っている、と思う。物事に動じることなく、よく喋ってよく呑んで……開放されている人間のように思われることも多い。でも、違う……。物事に動じないように見えるのは自分の感情を表に出さない性癖や、無感動な心が災いしているだけだし、開放されているように見えるのは、周りとのバランスで演じている部分もかなりあるだろうと思っている。
そんな私の前で彼女はストレートに感情を表に出してくる。その姿を見て、当たり前のことを当たり前に出来なくなっていた私自身の心を見直していたような気がする。

そして、他者との関係 ―― 一歩踏み込んだ関係を創ろうとするときに噴出してしまうお互いの嫌な部分<黒きもの>それと向き合うことはシンドイし、自身も傷つくかもしれない。だから……表面的に適当に、友好的に穏やかに、日常を送ってしまう。物足りなさを感じながらも――。

彼女はその面倒臭くシンドイ部分をぶち破る。仕事でも、日常でも、納得いかないものをやり過ごすことができず「悔しいっ! なんでやねんっ」と言いながら泣いたり笑ったり反省してみたり。かと思うとケンカしている相手の「ここは凄いとこやねん」と感心してみたり。
希薄な人間関係しか創れない人たちが多い……そして、そのことのむなしさを感じているくせに創りきれずに苛立ちを感じている私自身にとって、彼女のような存在はひとつの“あこがれ”だったのだ。

私は去年の10月に、彼女は2カ月遅れて帰国した。帰国後、私の部屋にしばらく滞在し、JICA本部への報告や、身体検査を受けたりして正月に実家へ帰った。彼女のもとに身体検査の結果が届いたのはその頃だったようだ。

人間の根源的なものが持つさびしさ

その電話は、彼女が<HIV反応…(+)再検査の必要>…その封書を受け取ったであろうときから4カ月経っていて、私は“人間の根源的なものが持つさびしさ”の話を長年の仲間であり、演出家でもある岡井氏と話していたころだった。

「このあいだ舞踏の連中に岡井さんの芝居って何?って聞かれてね、人間のさびしさって答えたんだよ。僕はずっとそれを創り続けてきたと思う。人間には、決して他人が救うことなんかできないさびしさってものがあるよ。救うつもりでやるどんなことも、結局その人にとっては余計なお世話でしかないんだよ」

なんとなくわかる気がした。そしてわかりながらも自分のなかに、誰かに救ってほしいと切望するものがあることを同時に強く感じてたけれども……その実例が――ハードなものの証明かのように――“そのものの存在”として姿を現わした……彼女から電話を受け、そんな気がした。

決して他者には救えない孤独やさびしさ、を抱えて電話してきたであろう彼女に、その瞬間に伝えなくちゃいけないことが私にはあった。でもできなかった。大江健三郎の「燃え上がる緑の木」のカジとギー兄さんの会話が頭の中をぐるぐると回る。
……私にとって芝居をするということは、どうやって生きるかを探ることだとか言ってきたくせに。
……そのことを芝居するたびに喋り、書いてきたくせに、全部机上の空論じゃないか! 情けなかった。

人のつながり…何かが静かに動き出す

“決して他者には癒せない孤独やさびしさ”があるのだ……そのことはわかってる。でも“それを知っている”ということを共有することは出来る。そのうえで、同情や人情での付き合いなんかじゃなく、「共に生きていこうとすることが出来る信頼に足る仲間がいるのだ」と思えることは、生きていくうえでの大きな支えだ。そして、“絶対の信頼”を抱ける他者が私にはいる、その安心感が持てるとき、手足を伸ばして“不安”と闘える……それは私にとって確信に近い感覚だ。その安心感を私は電話を受けたその瞬間に伝えなくちゃいけなかったんだ。

今の日本では、この病気の一般生活における感染ルートは性交渉が主、とされていることからの無知、偏見からくるさまざまな差別がある。田舎にいる親兄弟、友人知人が受ける差別もある。それらを考えて、簡単に誰にでも相談するというわけにもいかず、独り部屋の中に閉じこもっている彼女が携帯電話の向こうにいた。

デリケートな問題だろうとは思った。迂闊に喋るわけにはいかない内容だということもわかっていた。でも、私は迷わず電話をかけた。利害を超えたところで付き合っていける、私が持っている信頼に足る仲間たち。私が出来ないことは彼らが補ってくれる……その確信があった。

彼女自身が、閉じこもっていたところから<電話をかける>という、簡単なのになかなか出来なかったその行為をしたことで、人がつながりだして、そして、何かが動き出していった。……続く


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