コラム
役者という生き方〜貧乏ものともせず

第11回

“いのち”を感じさせてくれるもの…(3)
 
根本陽子/女優
「奇蹟の人」「十二夜」「オセロー」ほか多数出演。「桜の森の満開の下」では踊り手として、イギリス・ブリヤート共和国・韓国・アメリカ公演に参加。「沖縄」では、イタリア・ベトナム。「かもめ」ではニーナ役で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
2001年、文化庁芸術家在外派遣研修生として1年間のルーマニア滞在を終え帰国。貧乏をものともせず、「集団に依存しない真のクリエイターの姿」を模索しながら活動中。
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
 
〜前回までのあらすじ〜
彼女と知り合ったのはルーマニアのブカレスト。JICA(国際協力事業団)のボランティアとして救急病院で働いていた。初めてあった日に、生き方に共感できる仲間だ……そういう直感があった。
今年の5月、私より2カ月遅れで帰国した彼女から「HIVに感染してん…」という1本の電話を受けた。
私は、いまこの瞬間、伝えなくちゃいけないことがある……そう感じた。でもなにも伝えることができず自分自身の情けなさを痛感することに……。
 
電話の向こう

電話の向こうで、彼女は今の自分の心理状況を分析しながら、現実を受け入れようと葛藤を繰り返してた。血液にまみれての仕事上、彼女の頭の中に<HIV感染>の知識がなかったわけじゃない。ルーマニアという地で、「手袋がないから」と、血まみれの患者に手を出さずにいる看護師たちを押しのけて動いてしまうのは、1秒を争う命を前にしたとき彼女にとって当たり前の行動だったし、ある程度の覚悟はしていたつもりだった。なのに、なぜこんなにもどうしようもなく心がコントロールできないのか……。

患者の立場に立って考えようとし続けることのなかでその時々の行動を決断してきた。それ自体に後悔はないはずだった。告知を受けた時の患者の心理、というものも勉強もしてきたし、身近でたくさんの光景も見てきた。わかっていたつもりだった。
でも……実際に自分が告知を受けたときの感情は、いままで想像していたもの以上だったことへの衝撃。いままで自分は何もわかっていなかった……という想いもあったに違いない。

そして、きれいごとでは語れない人間の持つ根源的なものへの恐れ……。無知や偏見による差別に、自分だけでなく親兄弟、友人知人までさらされる……。そんな想いから、誰かれかまわず相談するわけにはいかず、身体検査の結果が届いてからの4カ月間、部屋に閉じこもってメビウスの輪のような思考を繰り返していた彼女……再検査をすぐにでもしなくちゃいけない状況なのにその一歩を踏み出すことがなかなかできない自身の情けなさに苛立ちながら……。

電話のこちら側……私

デリケートな問題を含んでいることは重々承知していたけれど、迷わず私は私の“信頼に足る仲間たち”に電話をかけた。私が出来ない事柄を彼らは補ってくれると確信していたからである。演出家で長年の仲間である岡井氏は、私の話を聞いた後、静かに穏やかに話し出した。

僕はね、芝居を現実社会と切り離してたところでは創れないし、また創ろうとは思わないんだよ。どこでどう切り結ぶか、なんだ。でも最近周りの俳優たちを見ていて、ここのところそれが希薄だったなって反省してるよ。社会のことを何も知らなさすぎるんだ。現実社会の“自分にとってのリアリティー”を持てなくちゃ駄目なんだよ。そしてそれは今の僕たちに必要なことだって思ってる。“芝居のことだけしか話せないような奴ら”じゃ駄目なんだよ。

彼女やね、Sさん(ルーマニア語の師匠)のように、自分の経験をきちんと喋れる、異業種だけれども仲間だって思える人たちがそばにいるってことは、僕らの財産なんだよ。今回のこともね、帰ってエイズのことをインターネットで調べようって気になるだろう。社会と切り結んでいくってそういうことだよ。動くのは“彼女のため”じゃないよ。僕らにとって彼女のような仲間は必要なんだ。田舎にいるのは良くないよ。

どんなことでもぶっちゃけて話せる僕らみたいなね、仲間が周りに必要だよ。彼女と話すとき、田舎から引っ張り出すっていう自分の態度をはっきりさせてから四方山話はしなさい。人との関係をね、いい加減にしちゃだめだよ。


まあ、はしょったけれどそういうことだ。私が心の奥でぼんやり考えたり感じたりしていることを意識の表面に引っ張り出す作業を、彼はいつもやってくれる。そしてそのたびに、私はぼんやりしていたものを確信に変えて動き出すことになる……。

社会的出来事の“自分にとってのリアリティー”

たとえば血友病患者の人たちが感染した“事実”は知っている。そして厚生省や緑十字や……に対して「なんてことを…」という感情を持っている。でも、知識として知っている、に過ぎない。無関心ということではないにしろ、自分を突き動かすまでの衝撃は伴っていないのだ。

社会的な出来事の“自分にとってのリアリティー”は、知識を詰め込もうとすることから生まれるのじゃなく、<もっと具体的な出来事>が、<知りたい>という思いへと変えてくれるということなのだ。「どれだけいろんなことに出遭うか」……その土俵にどれだけ身を晒しておけるかってことでもある……。

彼が言った“現実社会とどう切り結ぶか”って話を今の私はそう理解してる。実際、今の私は「感染していることが事実であった場合、看護師としての仕事は難しいのかもしれない。当面私のところで暮らすとしても、そのうち、部屋を借りて生活するということになるだろう。仕事上感染した場合、政府の保証はどうなるんだ。通院するときその医療費は……」等々、考え始めたらなんにも知らないことに気づかされる。一つひとつを具体的に動いていこうと思うとき、初めて<知りたい>と思うのかもしれない。

私は何からはじめよう……

そしてもうひとり。ルーマニア語の師匠Sどのは、抜群の行動力で、相談した次の日には政府関係やらJICA関係やらの補償問題を調べてた。そして、「彼女次第だけどね。でも、彼女が一緒に闘うつもりになってくれるように、やってみよう」と連絡してきてくれた。彼らは彼らのそのときやるべきこと、やれることを的確に具体化していく。じゃぁ私は……何から始めよう。

……私の姿勢は……自分の生き方に彼女を巻き込むつもりで動くということか。
――それが芝居であれ何であれ、“一瞬よりはいくらか長く続く間”を彼女のなかに創り出せることだと信じる。
「私は私のことをする。彼女も彼女のことをする。そのなかでつながることが、きっと、ある。ただ相手が迷っているのなら、ほんのちょっとおせっかいをする」

同情や人情のつながりなんかじゃなくて、生きていこうとする中身で人と関わろうとすることで、本物の人間関係を創り出せたらいいのだ。
――そう思う。まず最初にこのことを伝えよう。

いますぐこっちに出て来いっと言ったとき、「いかへんっ! まず自分の足で立つことができひんかぎりあかんねんっ」と強情にも言い張った輩である……電話じゃぁ彼女の頑固さ(^^!)には対抗しきれないと思った私は長い手紙を書きはじめた。……続く


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東京渋谷でのアンゲルスメンバーのライブに行って来た。バンド名は<NEUK>:ニュークと読みます。ルーマニア語はそのまま読むので、ネウクだとずっと思っていた私。彼らの音楽はワールドミュージックやジャズやロックや……んー説明は難しい。彼らも音楽の“新しいもうひとつのもの”を目指してる
 
ピアニカ:藤沢裕子。あだ名はロビン。東京演劇アンサンブルを経て今フリー。東欧公演ではビアンカという娼婦を演じながら自分で作曲したメロディーをピアニカで演奏。心臓はふといっ! なかなかの女優です
 
ギター:井ノ上孝浩。軽薄な音を創らないところが好き。テクニックも凄いんだけど、音符にかけない音を追求する姿は頭にバカがつくほど真摯。でもそんなバカどものほうが私は信用できるの
 
ドラム:月原誠。この人のドラムも呆気に取られる。ものすごい変拍子を平気で叩いてるけど、あやふやさがない。確信があって叩いてるから聞いていると安心感すら感じてしまったり。どんなリズム感もってるんだろ