コラム
役者という生き方〜貧乏ものともせず

第12回

“いのち”を感じさせてくれるもの…(4)
 
根本陽子/女優
「奇蹟の人」「十二夜」「オセロー」ほか多数出演。「桜の森の満開の下」では踊り手として、イギリス・ブリヤート共和国・韓国・アメリカ公演に参加。「沖縄」では、イタリア・ベトナム。「かもめ」ではニーナ役で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
2001年、文化庁芸術家在外派遣研修生として1年間のルーマニア滞在を終え帰国。貧乏をものともせず、「集団に依存しない真のクリエイターの姿」を模索しながら活動中。
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
 
〜前回までのあらすじ〜
彼女と知り合ったのはルーマニアのブカレスト。JICA(国際協力事業団)のメンバーとして救急病院で働いていた。初めてあった日に、生き方に共感できる仲間だ……そういう直感があった。
私より2カ月遅れで帰国した彼女から、「HIVに感染してん…」という1本の電話を受けた。帰国後JICAで身体検査を受け、今年1月に送られてきた検査結果の通知に「HIV感染再検査必要」とあったのだ。
それからずっと、彼女は独り閉じこもって葛藤を繰り返してた。彼女を引っ張り出すために、そして私自身のために、私は彼女に宛てて手紙を書こうと決めた。
 
再検査へ

ところがっ!ただただ時間は経っていく。こうしている間にも彼女は終わりのない葛藤を繰り返しているんだろう……そう思うと居たたまれなくなるのに、手紙は全っ然進まない! おまけに彼女が読むのが、いつでもいいわけじゃないような気がしていた。タイミング……いつなんだろう……電話を受けて1カ月近くが経ってしまったそんなある日。

わたしゃ別に運命論者でも、神秘主義者でもない。でもカンやひらめき、予感等々、人間には五感以外のものが備わっている、とは思っている。朝からなんだか不思議な現象続きで(今日は何かあるのかな…)などと思いながら出かける。

喫茶店でコーヒーを飲みながらボーっと考えごとをしていたとき、突如激しいあせりに襲われた。(たった今手紙を出しても間に合わない)慌てた私は言葉を選ぶ余裕なんてないままに携帯電話でメールを入れる。しばらくあって「明日再検査に行くことにした」…一切の通信を断っていた彼女からの返事。あとで聞いたところによると、このとき、彼女からの連絡を待つ体制でいた友人たちが、前後して1度にメールを送ってきたそうで。。。そして大阪から迎えにきてくれた友人の車に乗って、みんなの後押しを受けて、彼女は再検査へと動き出した。

わたしにとって“書く”ということ

私にとって“書く”ということの意味がこの2年間で随分と変化してきている。これまでも自分が開設しているHP上で、旅日記や稽古日誌をアップしてきた。それは単に自分の記憶をあとで呼び起こすための断片を羅列している、というような種類のものでもあった。好きだから続いてたっていう単純なトコもあるし。ルーマニアで遭遇するさまざまなことを<べんべん>に連載するようになってから、“書く”という行為が、芝居の延長線上、もしくはそれに変わる“私にとっての創造シーン”へと変わっていった。芝居をすることはどう生きるかを探ることだ、といい続けて芝居に関わってきた。だから“書く”行為も、自分がどう生きるかを探る手段であることには変わりないけれど。

98年に『アリスとアルゴー船隊員たちのいる風景』という芝居をやった。台本は演出家の岡井直道で「きちがいお茶会」のアリスがハイナー・ミュラーの詩「アルゴー船隊員たちのいる風景」大江健三郎の「燃えあがる緑の木」の世界に紛れ込んでゆく……というもの。これはある意味で私たちにとって転機になった作品創りだった。そのなかで私は大江の作品のなかの“サッチャン”という役を担ってた。両性具有の彼女(?)は「燃え上がる…」のなかで“記録する者”として存在している。でも、98年当時、私はその役を演じながらそんな意識は微塵もなかった。

<HIV感染>という連絡を受けてから、ふと気がつくと、このことについて自分が何を思い、感じて、どんなことを彼女に伝えたいと思っているのかを必死に書きとめている自分がいた。そして彼女に宛てて書き出した手紙のなかには大江健三郎の<カジとギー兄さん>の会話があった。私がやらなくちゃいけないことは何なんだろう……と思ったとき、自分が担った役“記録する者=サッチャン”のことが頭をよぎった。

私が手紙を書いている相手も“さっちゃん”だった…その符号がやたらリアルで生々しくて……そして私にとって書く行為の意味が、また変化していくのをごく自然に受け止めてた。(院内感染…生きていこうとするなら、これから直面するいろんなことと闘っていかなくちゃいけないだろう。どんな問題が沸き起こってくるのか、今の私が想像出来ることなんて限られてる…でも…私の目に映ることすべてを記録しよう…)そう決めてた。私がやらなくちゃいけないことって“これ”なのかな……

再検査から1週間後

夜、1本の電話が入る。彼女からだった。
「あのな、−(マイナス)やってん」
しっかりとした声が聞こえてきた。またもや一瞬頭がこんがらがる。
「えっと……確定した……ってこと?」
「感染してへんかってん」
「………ぁぁぁあほかぁっっ!!!!」
あとはもう罵声を浴びせ倒す私である。「とにかく明日にでも東京に出てこいっっ!」と捨て台詞で電話を切ったあとの私を見ながら「怒ったり笑ったり泣いたり。。。忙しい人だわねぇ」とにっこり言う妹と、やっぱり泣きながら乾杯した。料理用の、それも気の抜けた、やたら甘い白ワインしかなくて……でも嬉しいお酒だった。

喜び勇んで金沢の岡井氏に連絡をする。でも、「もう1度検査するんだったら、その結果が出るまでは迂闊に安心できないから、こっちではまだ誰にも報告するつもりはないよ」…ドキっとする。その言葉通り、この出来事はそう簡単にジ・エンドにはならなかった…そして、私は、JICA本部での再再検査のために上京してくる彼女を待つこととなる。(…続く)


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私がお世話になったルーマニアのJICA隊員たちの帰国。帰国前はそれぞれが見て回りたい国をあちこち訪問して、皆同じ日に日本到着。アフリカで真っ黒になってきた人やら、オーロラ見てきた人やら、南の島やら…そしてこのあとに、健康診断を受けたり、本部に報告したり…が待ってる
 
何か作業に集中したいときは、ほどよく賑やかで周りに人がいるところがいい。ガストに行くのは私の定番。貧乏だし(^^!) ちょっとリッチにいきたいときはレストランとか喫茶店。余談だけど、新宿5丁目交差点の角にある「伊太利亜食堂」のチーズリゾットは絶品なの。で、弾き語りのおまけつき。今日はローマのラブソング(−0−)聴きながらウクライナ渡航用の書類書き…煩雑だぁ