コラム
役者という生き方〜貧乏ものともせず

第13回

“いのち”を感じさせてくれるもの…(5)
 
根本陽子/女優
「奇蹟の人」「十二夜」「オセロー」ほか多数出演。「桜の森の満開の下」では踊り手として、イギリス・ブリヤート共和国・韓国・アメリカ公演に参加。「沖縄」では、イタリア・ベトナム。「かもめ」ではニーナ役で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
2001年、文化庁芸術家在外派遣研修生として1年間のルーマニア滞在を終え帰国。貧乏をものともせず、「集団に依存しない真のクリエイターの姿」を模索しながら活動中。
URL:http://fame.calen.ne.jp/~yoko/
E-mail:yokonemoto66@hotmail.com
 
〜前回までのあらすじ〜
彼女と知り合ったのはルーマニアのブカレスト。JICA(国際協力事業団)のメンバーとして救急病院で働いていた。初めて会った日に、生き方に共感できる仲間だ……そういう直感があった。
その彼女から、5月初旬「HIVに感染してん…」という1本の電話を受けた。院内感染……。
彼女はひとり閉じこもって、終わりのない葛藤を繰り返したのち、再検査へと一歩を踏み出した。そして、再び彼女から電話連絡が入り<(−)マイナス>との結果報告。感染していない……私は、単純に喜んだ。
 
半年振りの再会

東京のJICA本部での再々検査のために上京してきた彼女と対面する。長かった髪をすっぱりと切って、いく分痩せたけど不思議な透明感があって…(綺麗になったな…)私は人間の内面がこれほど外側にも影響するのか…と改めて感じ入ってた。八重洲の飲み屋でS氏と3人で彼女の話を聞く。そして我が家でまたもや飲み明かす。

「感染してへんことがわかったとき、うれしかったで。でもな、素直に喜べへん自分がいんねん…」夜中に彼女がポツリと言った。

「閉じこもってたらあかん、外に出なって思うやろ。そしたら整理になんねん。これはどう処理したらええんやろ? このまま捨ててもええもんなんか? インターネットで調べまくったよ……でも、そんなことどこにも書いてへん。万が一交通事故にあって私の血液に誰かが触れたら……意識があるんやったらええよ。私はHIVですって叫べるかもしれん。でも意識がないような状態やったら……誰かに感染させてしまうかもしれへん……そんなこと考え始めるとな、どこにも出られへんようになんねん。今まで感じひんかったような問題がな、生活するなかで山ほど出てくんねん。
末期ガンの告知を受けた患者の心理なんていうのも勉強してきたし、たくさんの人たちを見てきたよ。でもな……こんなにシンドイもんやったんや……自分がその立場になってやっとわかったことがあんねん。
でもな、私は感染してへんかった。ほんまに感染している人たちの気持ちはわからへん。手前までで、そこから先のことは私にはわからへんねん。私はな、結局自分の力では<一歩>を動き出せなかった。私が出来ひんかったことを乗り越えて、生きようとしている<ほんまに感染している人たち>がな、おんねん……」

「素直に喜べへん…」そのとき私が感じてたこと

大阪で検査結果を受け取った夜、なかなか寝付けなかったよ。今夜もそうかもしれない……そんなことを言っている彼女をベットに押し込み(^^!)私も布団に潜り込む。私は、彼女が感染してないって聞いたとき、単純に喜んだ。その気持ちは今でも変わらない。大事な人を“そんなこと”で失いたくない、そう思った。私が、彼女の痛みを自分のものには出来ないように、彼女も、<ほんまに感染している人たち>のしんどさすべてを自分のものには出来ない……当たり前だけれど……ただ……。

“再検査へ行く”というメールを彼女から受け取ったとき、アンゲルスの演出家:岡井氏に連絡を入れた。そのとき、最後に彼はこう言った。
「いのちを感じさせてくれる――そんな迫力のあるものが身近にあるっていうのは、凄いことなんだよ。もちろん、君にとってもね」

いのちを感じさせてくれるもの……彼が私に言ったのはこれで2度目。今、彼女が、そして私が、遭遇しているこの出来事の迫力は、確かに心の奥の何かを変えていってた。“死”を前提にしたものとして、すべてのものごとを見てしまうところへ、一時とはいえ追い込まれて、彼女はおそらく必死にインターネットでこの関連のものを読みあさったと思う。そしてHIV感染者、エイズ患者の生きている現実の厳しさ<友人知人にまで及ぶ、無知・偏見からくる差別や迫害、いつ発症するかわからない恐怖etc.etc.etc…>を少しずつ“知覚”していった……たぶん……。

彼女は“彼女自身の今まで”とは違う切り口で、世界と結びつこうとしはじめてる…そんな気がしてた。

そして再々検査へ

どうしてこう、二転三転するんだろう……人生って不思議だ……多少の月日が経ってこの原稿を書いてるけど、この時期のことを思うと、リアルに不思議さが甦って来る。

JICA本部から帰ってきて料理を作ってる彼女の、何となくのぎこちなさを感じて、私は落ち着かなかった。それから、ややあって「あのな…」と彼女が話を切り出した。はしょるけれど、JICAで行なわれた検査のほうが、大阪の保健所での再検査よりも、より高度な内容だったというわけだ。
「手が震えて封が切れなかったあの<−(マイナス)>が書かれた紙をな……一笑に付されたよ。<なんや、こんなもん>ってかんじで」

冷静に話そうとしている彼女の言葉に「うん」と相槌を打つことしか出来なかった。――免疫系の反応が出るほかの病気だったという症例が過去にひとつあった。それでも“感染していない可能性”0.01%が0.1%になった程度に過ぎないこと。今度は感染症専門の研究施設で再々検査を受けること。いくつかの検査のあと、遺伝子レベルでの検査まで――<99.9%感染している>そう言われて臨むほんとに最後の検査。どんな回答が待っていようと、一つひとつをはっきりさせていかないことには前には進めない。そのことは彼女自身が一番よくわかってた。
それから1週間ほどのあいだ、再度、彼女の中で、私の中で、明快な答なんか出ない自問自答が始まった。……続く


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アンゲルスの稽古に参加するため金沢に向かっておりまする…というわけで「日本の車窓から」;日本海の夕暮れ時…糸魚川近辺
 
ちなみにトンネルの中のわたくし。なので、ブレてます…「オセローマテリアル」のニュー・バージョンというわけで半月のあいだ金沢で稽古。そのままウクライナ演劇祭まで突入いたします