忙しさを言い訳にサボってきたこと
――脚本のなかの役になりきって演ずるのではない ――俳優自身の中身が問われる芝居創り プロとして芝居に関わり出してからずっと、そのことを追い続けてきた。いま(現代)を生きている人間としての迫力が感じられない芝居には興味がなかったし、私自身も“芝居を上手く演じられる”ことより、自分の生き方を変えてしまうかもしれない迫力に出遭う瞬間を期待することのほうに、俳優としての実感を感じてた。
もちろん“芝居がうまい”に越したことはない。けど技術至上主義になることは否定してきた。そういった作品創りの方向を選んでいった自分に対しての後悔はないのだけど……。
<技術至上主義を否定する>そういう大義名分の傘の下で、演技術とは違うことであるはずの<俳優が、自身の、肉体を含めた“感覚”を鍛える>ということを一緒くたにして、忙しさを言い訳に自分自身を怠けさせてきた。 今、そのことの反省をしている最中なのでござる……。
<アンサンブル>でのこと
はぁ〜、かれこれずいぶん昔の話となってしまうのでありますがね(・_・!)。私は東京演劇アンサンブルの養成所に入った。養成所では、2年間のスタンスでひと通りのレッスン――たとえば、バレエ、ソング、体操、演技実習等々――のカリキュラムが組まれている。しかし、独立した存在として養成所があったわけではないから、劇団自体が忙しければ、休講になることもしばしば。おまけに劇団が忙しくなかったことなんて、ない……。
どちらかというと、劇団でやられる芝居に対する理解を深めることのほうが重要で、俳優としての肉体を鍛えるということには、熱心ではなかったように思う。「あいつは肉体派だな」なんて使われるときのニュアンスに、あまりいい意味はなかったし・ね。
私はというと、養成所に入ってすぐ劇団の芝居に出演するようになったこともあって、レッスンにはほとんど出られなかった。その後劇団員になってからも、稽古、東京公演、旅公演、道具作り、そのほかさまざまな仕事が交錯するなか、スケジュールをこなすことに手一杯。その間隙を縫って、何かのレッスンを受けに行こうなんていう気力もお金もなかったのは、ほかの俳優たちも同じだったと思う。 ……と言ったら怒られるか ……私は劇団の仕事もサボり倒してたクチだし…(−−!)
正直なところ、肉体的な部分で「あー鍛えなくちゃなぁ」と必要性を感じる具体的な場面に遭遇したという実感がなかったのだった。そして気がついてみたら、そのまま十数年が経過してた……。
組織(劇団)から離れて・今思うこと
自分の意思とは関係なく、次から次へとスケジュールが決まっていく渦中にいるときは「プロフェッショナルであり続けようとすること」を考える必要に迫られることもなかったのだろうな。でも“組織に属する”という感覚から抜け出して、“自分自身で創り出していく”という手触りのある仕事のやり方を、と選び取ってしまった今は、自分自身が動き出さないかぎり、なーんにも決まらないし、起こらない。 前回<プチひきこもり>なんて書いたけど、そうやっているあいだは、自分が、俳優としてプロフェッショナルかどうかを証明する手段はない……世間に対してではなく、自分自身に対して。
カポエィラをはじめた理由
原因はいろいろあるけれど、自分が舞台に立つということに対して嫌悪を覚えたりしちゃう今の私の状態について、 ……何とかしようとあたふたしてもしょーがないやぁ と思うようになった。「放っとけ放っとけ」って感じかな(^−^) また舞台を創りたい、と思えるようになるのかどうかの前に、私は俳優として肉体的にも「プロフェッショナルでアリツヅケヨウトシテイルカ?」が、今一番の関心事になってる……ちょっと矛盾した言い方だけど。こっちは放っといたらどんどん鈍くなるだけだ。 ――これまでサボり倒してきた肉体の側から、自分の内側の感覚をどう揺さぶれるか。
遅まきながらようやっと、なのだけれど、このことに向き合おうという興味が湧いてきた。そのうちのひとつにカポエィラ(ブラジルの格闘技)がある。 「なんでまたカポエィラなんて始めたの?」 といろんな人に聞かれるので、その経緯を書いてみました。(^^!)
「で、そのカポエィラってどうなのよ?」 という話は、次回改めて…にいたしまする。
|