コラム 役者という生き方〜貧乏ものともせず
第35回
ブラジルの格闘技・Capoeira<カポエィラ>
根本陽子/女優
「奇蹟の人」「十二夜」「オセロー」ほか多数出演。「桜の森の満開の下」では踊り手として、イギリス・ブリヤート共和国・韓国・アメリカ公演に参加。「沖縄」では、イタリア・ベトナム。「かもめ」ではニーナ役で日本人として初めてモスクワ芸術座の舞台にたつ。
2001年、文化庁芸術家在外派遣研修生として1年間のルーマニア滞在を終え帰国。貧乏をものともせず、「集団に依存しない真のクリエイターの姿」を模索しながら活動中。
URL:http://www.yocuta.com/
E-mail:yokonemoto@hotmail.com
単に、鍛えるだけじゃつまらない……

ここのところ――自分は俳優として、感覚的にも肉体的にもプロフェッショナルであり続けようとしているか――という自分なりの課題があった。単純にからだを鍛えるって意味だったら、やり方はいくらでもある。筋トレくらいだったら普段もやってるし(-_-!)/
……いゃ……たまに、だけど……。
感覚を揺さぶってくれるようなもの、できたら今までにやったことのないものがいいなぁ……と思ってた。

そんなこと考えているときに「ねぇねぇカポエィラ一緒にやらない〜」とのお誘いが。たいした知識もなく“ブラジルの格闘技”っていうくらいのことしか知らないくて。でも……いつかどこかで見た、おぼろげながらの映像が浮かぶ。
……ありゃ、いいかも
で、稽古場に行って体験レッスンを受けてみる。

1回3時間、ほとんど動きっぱなしというハードさで、終わったあとは頭痛に襲われたけど、こりゃぁいけるな、という手応えがあった。

カポエィラって?

さてさて<カポエィラ>を簡単に説明すると、
――サトウキビ栽培のために、ポルトガルの植民地だったブラジルに連れてこられたアフリカ人奴隷たちの反抗と自由を勝ち取る手段としての格闘技――だそうだ。

Berimbau(ビリンバウ)という弦楽器がメインになるのだけれど、楽器を演奏する人がおり、それに合わせて周りの人々は手拍子をしながら歌い、人々で作られた円の中心で組み手をしている2人も、楽器が作り出すリズムを根底にして動く。
「踊りながらの格闘技でしょ?」
と聞かれることもあるんだけど、当時のブラジルでは、支配者の弾圧が強く、“踊りや宗教色でカムフラージュして”格闘技の稽古をしていた、ということであって、踊り<な・が・ら>というわけではないみたいですよ。まず、そんな器用なこと私にはできない(^^!)

土着的な要素が強いことの面白さ

ブラジルにはいくつものカポエィラのチームがある。そのなかでもリオ・デ・ジャネイロに本拠地がある最大規模のチームに<アバダ・カポエィラ>がある。私が参加しているのはその東京支部ってことになるのかしらん?《アバダ・カポエィラ・東京》というチーム。

ただいまお勉強中なので、詳しいことはまだ書けないのだけれど、やはり流派?はあるようで、地域やチームによってその特徴はさまざまなようだ。参加してみたところの感想でいうと、アクロバティックな見せる、という要素が強いチームより、もっと土着的な要素が強いんじゃないかな。今になって思うと、そこが惹かれた理由のひとつ。

中身をちゃんと理解していない私が、カポエィラにおける土着的というのを端的に説明するのは難しいのだけれど、<つねに低い姿勢で、防御から攻撃に転じたりするにも地面に手をつける>動きが多い。側転に似た動きで相手の攻撃を避けたり蹴りを放つとか、ね。もちろん立ち技の蹴りもあるのだけれど、重心を低くした状態からの動きがとても重要な要素になってる。

腰を上に持っていく西洋文化との違い

本格的にレッスンを受け続けたものはひとつもないのだけれど(!−-)、芝居のなかでその時々、モダン・バレエや体操、タップダンスなどをやることはあった。バレエの動きを例にとるとわかりやすいかもしれないけれど、西洋の動きは腰(重心)を上へ上へ、と引き上げる文化。そういうものに慣れ親しむ機会のほうが多かった私には、地面に手のひらをつけて転げ回る(といってもお尻を地面につけるわけではないです)かのような感覚が新鮮だった。天地が逆さまになる動き――文字通り、頭の中が揺さぶられる。

特殊な職業や、やんちゃ坊主のまま大人になったような人なら別かもしれないけど、日常生活ででんぐり返しを日々やってる大人を私は知らない(笑)。私自身も然り。稽古に参加してまず最初に思ったのは、いつの間にやらそういう感覚を忘れちゃってたなぁ、ということだった。

品位のある駆け引き

カポエィラは、相手を叩きのめすことがメインじゃないように見える。“できる”人であればあるほど、相手がやろうとしていることを潰さない。瞬時に何手も先の動きを組み立てられるし、対処できるから、相手を潰しはしないけど、力の差は見てる人たちの前でも歴然としてしまう。品位のある駆け引きが求められる……とでも言いましょうか(^^)

“間合い”“リズム”“相手の気”“空間をつくる”そういったさまざまな要素は、ホント、芝居と一緒なんだよなぁ……。動きの美しさって、筋力のある肉体が先にあるわけではないなって気がいたします。そういったもろもろのことを感知できる能力がとても大事で……。でも、それらを体現するにはやはり、それなりの肉体が必要になってくる。

結果のわかり“づらい”ものと“やすい”もの

芝居の世界では、“自分の感覚が今どうなってるのか”を“どう自覚してるかっ”なんて、か・な・り・曖昧でわかりづらいところがある。結果を求めるためにやってるわけでもないし、数学のような解答があるわけでもない。そんななかに居続けると、ときとして、“結果がわかりやすいもの”を求めたくなることがあるのかもしれないな。少なくとも、カポエィラを習い始めた今は、「この動きができるか・できないか」は自分ではっきり知覚できる。

そんななかで、自分に足りないもの、鈍っているもの、こうしたいと思うもの……etc.が自覚できて、俳優としての自分の内側をもう一度覗き込めるようなふうになれればいい、そう思っている今日この頃なのであります。
すでに相当ハマッてるけど、飽きっぽい私のことだ……どこまで続けられるか、自分で自分が見ものなのだ(^^)


 
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側転に似てるけど、防御にも攻撃にも移れる動きだから体操のきれいな側転とはちょっと違う。腕は曲げてたほうがよいのだけど、私は腕力なくて無理…
 
腕と地面につけないで回転することも。もちろん私は出来まっっせんっ
 
ビリンバウという弦楽器は3つしか音が出ないのだそうだが、カポエィラには欠かせない一番重要な楽器